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松並木
 旧日光街道の神明町六丁目橋附近から、旭町南端点の約1.4kmの松並木は、綾瀬川をバックにした景観で昔から「草加の松原」と呼ばれて街道の名物でした。
 昭和の初め頃は道路両側の松の梢が上の方で交錯して、文字どおり松の木のトンネルで、その風景は今の若い人達や新しい市民の方がたにぜひ、お見せしたいものでした。人通りの少い昔は大変さびしい所で、時折追はぎが出たなどと今でも語りつがれています。
 この松並木は、いつ頃植えられたかは古い記録が残っていませんのではっきりしませんが、一説に天和3年(1683)関東郡代伊奈半左衛門が、綾瀬川の改修のとき植えたという言伝えがあります。しかし天和3年ですと約300年前になりますので、相当大木になるわけですが5、6年前に切った何本かの枯死のうち一番大きなものでも年輪は、せいぜい230年位でほとんどが200年以内のものでした。
 寛延4年(1751)に描かれた奥州道中絵図(盛岡藩作製)には、松並木はなく5、6本の松の木らしいものが見えるだけですが、江戸末期に作られた道中絵図控(幕府作製)には何百本と描かれています。また明治2年には485本、明治10年には補植されて806本あったと伝えられています。なお昭和3年の「埼玉県史跡名勝天然記念物調査報告書」には、778本となっています。このように江戸末期から明治、大正にかけて相当補植されたものと考えられます。
 しかし、その後の自然環境の悪化は、終戦時約630本あった松の木も自動車の増加と共に急速に枯れてゆき、現在往時の松の木は99本だけになっしまい、そのうち枯松5本、半枯10本、後の84本も気息えんえんの状態です。
 市や市民も今まで傍観していたわけではありませんが、何としても価値観の違う高度成長時代なので、対策が後手後手となって枯れるスピードに追いつけなかったわけです。数年前、青年会議所その他の団体の植樹運動がおこり、昭和51年には松並木保存会に発展して、現在まで県の提供74本、市民や団体が121本、保存会80本、合わせて275本が植樹されて若木の松並木に変わりつつあります。松並木を保護するための遊歩道工事も着々進行しています。
 市民の方々の熱意で植えられたこれらの若木達も、この悪環境を乗り越えてなんとか一人前の松の木に成長して若々しい「草加の松原」を再現してもらいたいものです。
 草加史談会会員 高橋春雄氏
 
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